第5章 進化について考えてみよう
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家畜というものはどんな形にもできる粘土のように思えるかもしれないが、進化には保守的な面もある
その生物種の進化の歴史、つまりそのグループがどのように系統発生してきたかということは、選択によって生じた変化を考察する際、背景としてきわめて重要なのである 実例として家畜化されていない生物の進化を見てみる
両者はよく似ていて、体型的にかなりの共通点があるが、タツノオトシゴ類のようなくるっと丸まった尾や長く延びた口吻はシードラゴンには見られない シードラゴンは、タツノオトシゴ類と同様にほとんどの鰭(ひれ)を失っている
たいていの魚が推進力を生み出すのに用いている尾鰭までないとあっては、泳ぎは当然下手くそ
このほとんど動かない小さな生き物が食べられないようにするためには、カムフラージュが絶対不可欠 https://gyazo.com/f193f3bec9e1ea5bdb5f04014231429a
シードラゴンはオーストラリア南部の沖合に浮くケルプ(海藻)と一緒に漂流しているので、海藻によく似ている リーフィーシードラゴンは驚くほど海藻そのもの
体色は自分のいる場所の海藻と同じであり、体のあちこちから複雑な形をした突起が何本も生え、自分の潜む海藻の葉状体に神秘的なほどにそっくり
この手のカムフラージュは、自然選択のもつパワーを如実に示す証拠になる
この場合、「海藻に似ていること」が選択の対象となったのは明らかであり、またこの選択が非常に有効であることも明白
だが、このような素晴らしいカムフラージュは自然選択だけでできあがったのではない
系統発生的な要因を考察すれば、その答えにかなり近づける
ドーキンスの説明によれば、リーフィーシードラゴンは一般的な魚の祖先をもとにして一から生じたかのようだが、実際はそうではない
2万7000種以上存在する魚類の中で、他の99.9%の種に比べてすでに海藻に似ていた魚が、リーフィーシードラゴンの祖先となった
類似性が既に高い魚を出発点として、「海藻に似ていること」を対象とする選択が始まった
海藻によく似た外見を作り出すのに必要であった自然選択は、ドーキンスが力説したよりもずっと少なくてすんだ
一般向けの進化の説明にはありがちだが、ドーキンスの説明でも、特定の環境に適する形質をもつように生物を形づくれるという自然選択の力に主眼が置かれている
リーフィーシードラゴンのカムフラージュを説明するには確かに自然選択の力を外すことはできないが、それは話の一部でしかない
生物がもっている形質は、それまでの進化の歴史で獲得したもの
生物が環境に対しどのようにして適応していくのか、あるいはそもそも適応するのが可能かどうか、それには手持ちの形質も重要な決めてとなる
「系統的慣性」という後には、系統的な要因のせいで起こりにくくなる進化があるという意味だけではなく、リーフィーシードラゴンのように起こりやすくなる適応進化もあるという意味も含まれている
系統的慣性は進化を拘束するだけでなく、能動的に進化の方向づけをし、道筋を作っていく
リーフィー氏ドラゴンの場合、この系統的慣性による経路は、リーフィーシードラゴンが登場するよりもはるか昔から、カムフラージュへと方向づけられていた
まずシードラゴンとタツノオトシゴについて確認しておこう
この科は5000万年以上前に進化したグループ
ヨウジウオ科の特徴の中で最高に興味深いのはカムフラージュとはまったく関わりのないもので、雄の妊娠
雌は雄の腹に卵を産みつけ、受精は雄の体内で起こる
雄には育児嚢があり、卵はそこで6~8週間かけて発生する
これはヨウジウオ科に属するすべての種に共通した形質だが、硬骨魚の他の科にはこのような形質は存在しない シードラゴンのカムフラージュにもっとも関わりが深いのは体型
ドーキンスが強調したように、真骨魚類の体形は全体的に見ると途方もなくバラエティーに富んでいる しかし、科レベルで見ると、体型は高度に保存されている
ヨウジウオ科の魚はすべて細長い体つきをしており、色彩によるカムフラージュがなくても見つかりにくい
シードラゴンのカムフラージュ要素の中で最も壮観なのは、葉のような形に伸びた部分
特に重要なのは、ヨウジウオ科の魚には鱗がまったくないこと
リーフィーシードラゴンの系統発生をたどると、この形質は近年な他の科にも共有されている
ということは、ヨウジウオ科の出現よりもかなり前の段階で鱗の消失が起こったことになる
ヨウジウオ科と近縁の他の科では、皮骨からなる骨板が鱗に取って代わり、環状になって節を作り、体を覆っている
皮骨と鱗はある程度共通の発生経路でできる
鱗も皮骨も、真皮肉にできた骨化核がもとになってできるのだが、鱗の場合は表皮も加わって象牙質とエナメル質からなる歯のような層が形成される
エナメル質は特に高度に鉱化したきわめて硬い物質
一方、葉状突起は弾力性に富むある種のコラーゲンを多く含み、固いエナメル質は含まれていない
これは海藻に似るにあたって特に重要な点
皮骨の発生はまずコラーゲン形成で始まり、そこにミネラルが沈着して骨化していく
シードラゴンだけでなくタツノオトシゴの多くでは、自然選択によりコラーゲンに富む状態が保持されるようになり、さらに複雑な構造を形成するようになっている(特に頭部でそれが著しい)
このようなコラーゲンに富む複雑な構造は鱗のある魚類では進化していないが、その一方で、体表に皮骨のある魚類ではヨウジウオ科以外の科でも反復進化しており、主にカムフラージュの役目を果たしている こういった糸状や葉状の装飾的な突起のように、ある形質が何度も独立して進化する現象は、進化生物学でいう「収斂進化」の一例(たとえば Hall, 2003 を参照) 収斂進化という現象が起こるのは、環境に共通点があるために、自然選択によって同じ形質が選ばれるようになるからだという説明されることが多い
ここでもまた、この現象論的な考え方は話の一部でしかない
ヨウジウオ科や近縁の他の科の魚に糸状や葉状の突起が見られるのは、それらの魚類は鱗の消失という共有形質を有するからだと説明できる
しかも、この形質は共通祖先をもつおかげで共有されている
イヌからトナカイに至るまで、どの哺乳類の家畜化過程でも類似した複数の形質が進化しやすい傾向があるが、その根底には相同性がある
家畜に見られる類似した形質はまとめて「家畜化表現型」あるいは「家畜化シンドローム」と呼ばれ、従順性、社会性の向上、多彩な毛色(特に白色)、体のサイズの低下、四肢の短縮、鼻づらの短縮、垂れ耳、脳のサイズの減少、性差の減少などが含まれる 家畜化表現型は、人間の存在する環境下で起こる一連の収斂進化であり、それ以外の環境下では起こらない
もしも共通祖先から全哺乳類が受け継いだ重要な相同性がなければ、これほど多様な種で同じような家畜化表現型が進化することはなかっただろう
進化生物学では、相同は以前から重要な概念だったが、近年、特に重要なものとして耳目を引くようになっている
近年では、進化の保守的な面が進化に関する考察での焦点となっており、それは進化研究の中でもとりわけ飛躍的に発展中の2つの分野に起因している
エヴォデヴォ
エヴォデヴォがベースとするのは、多細胞生物の進化的なすべての変化は既存の発生過程の変更によるものだという前提 エヴォデヴォ研究の多くは発生過程を扱っている
発生過程は、数億年も前に出現し今日でも高度に保存されている過程であり、現存する各動物門の基本的な体制(ボディプラン)の違いは、この発生過程の違いを土台として生じてくる 脊索動物を脊索動物たらしめる発生過程は、はるか昔に進化し、高度に保存されてきたもの この発生過程の大筋は変更できないものだといえる
なぜなら、あとに続く脊索動物すべての進化が、大昔にできた発生過程そのものを土台としているから
大雑把に言ってしまうと、新しく進化した発生過程ほど進化による変異が生じやすい
ティンカリングとは、その場で手に入る道具や材料をいじくり回して、改造を施したり新たなものを作り出したりすること
オオカミからペキニーズを進化させるには、発生の最終段階に起こるいくつかの出来事のタイミングをいじくるだけでよい
一方、骨細胞が成熟して骨が形成され、四肢が形成されて指先に爪が生えるといった基本的な発生過程自体は、オオカミがペキニーズへ移行していくなかでまったく変わっていないのである
もっと一般的に言うなら、進化によって発生過程が変更される場合、全面的な変更が行われることは決してない
この制約(発生拘束)は、発生という過程が途方もなく複雑なものであり、かつ生物は高度に統合的なものだという事実から自ずと生じるもの そのため、少しでもディープなところで変更が起こってしまうと破壊的な結果になることが圧倒的に多い
ゲノミクス
ゲノミクスという分野ができたのは、近年の技術の発達により比較的短時間で全ゲノムの配列を解析することが可能になったから 「全ゲノム」という語は、ここでは、ある生物の何十億という塩基対からなるDNAの塩基配列全体のことを意味している この語は、DNAのほとんどが遺伝子、つまりタンパク質の構造を指定する配列であると考えられていた頃に作られた用語
しかし、今ではこの見解が間違っていたことがわかっている
言い換えると、ゲノムの大部分は遺伝子に関するものではないということになる
ここでは遺伝子という語を「DNA塩基配列のうちタンパク質のアミノ酸配列を指定する領域」という意味で用いている
ほとんどの読者はヒトゲノム計画について聞いたことがあるだろうが、ヒトだけではなく、酵母菌やフグなど他の生物でも、ゲノムの塩基配列が決定されている 家畜哺乳類の多くは経済的に重要であり、また人間の疾患研究に役立つ可能性もあることから、かなり早い時期にゲノムの塩基配列が決定された
ゲノムの塩基配列という情報は2つの点で計り知れないほど重要
家畜化が行われる際に、ゲノムの中で自然/人為選択に反応するのがどの部分であり、かつどのように反応するのかを決定するという点
さらに、家畜の品種と在来種(家畜種のローカルな変種)の系統発生を再構成する際に重要な情報を提供してくれる
ゲノミクスは進化研究に膨大な影響を与えてきた
ゲノミクス出現以前、進化学者が進化を辿ろうと思ったら特定の遺伝子の変化を観察するしかなかった
この作業によって得られる情報は多いとはいえ、限られたものでしかない
なぜかというと、たどっていた単語のほとんどは名詞だったのに、進化の過程で変化が起きていたのは実は動詞だったからだ
ここで「動詞」というのは、DNAの塩基配列のうち遺伝子の活動をコントロールする部分のこと
これらの動詞には、それ自体が遺伝子であるものも含まれているが、多くは遺伝子ではない
遺伝子のなかには、調節領域に結合することで遺伝子発現に影響を与える転写因子をコードしているものもある。
このような認識は、進化生物学者たちがゲノムデータを消化するにつれて徐々に得られていったものだ
まず最初の驚きは遺伝子の少なさだった
遺伝子の数と生物の複雑さとの間には相関関係があるはずだと思っていた人が多かった
ところが、人間の遺伝子の数はフグと同じくらいだったし、センチュウと比べてそれほど多くもなかった わたしたち人間のもっているものとほぼ同じ遺伝子がフグにもあった
遺伝子、すなわちDNAの塩基配列のうち、タンパク質をコードしている部分がそれほど高度に保存されているという事実もまた、先入観を覆す結果だった
だとすると、なぜ人間とフグはこれほど異なっているのだろうか?
脊椎動物の基本的な遺伝的ツールキットは、はるか昔に進化したもの
このツールキットを増大するには遺伝子重複などのいくつかの方法があり、ツールキットの増大もたしかに重要ではある しかし、多くの進化は遺伝的ツールをどのように多様な方法で有効活用するかにかかっている
それを主に決定するのは、かつて十把一絡げに「ジャンクDNA」と呼ばれていたゲノム中の非コード領域である 今では、この「ジャンク」の中に遺伝子の活動を調節する重要な役割を果たす部分もあることがわかっている
しかし、ジャンク DNA には本当にジャンクなもの、つまり機能的にまったく無意味な反インテリジェントデザイン説的なものもある。
しかし、私はここで主張したい。ゲノミクスから、そしてエヴォデヴォから得られる最重要メッセージは、進化が実に保守的であるということだ
進化には保守性があるがゆえに、系統発生から実に豊富な情報を得ることが可能なのである
生命の樹(系統樹)
この系統関係は「クラドグラム(分岐図)」という樹状図として表される クラドグラムを構成する一本一本の枝はクレードと呼ばれ、各クレードは階層的にまとめられる このまとめられた枝は、種からドメインまでそれぞれの階層の分類学的カテゴリーを表す
種は分類カテゴリーの中で最も自然な(最も恣意性の低い)ものだが、進化生物学では種以外の他の階層も種と同じようにして扱う
これら分類カテゴリーは、特に根本的なレベルで現在でも常に吟味され改訂され続けている
ここでは比較的伝統的なカテゴリーだけに絞って要点を掴むことにしよう
家畜化された哺乳類の祖先について何がわかっているか
すべての家畜は、ある単一の共通祖先から生じたものであるため、すべての動物がもつ(かつ植物など他の生物群はもたない)、偶然的に進化してきた特徴を共有していることになる
さらに、すべての脊索動物がもつ(かつ節足動物や軟体動物などはもたない)特徴を共有し、もっと絞り込むなら、すべての脊椎動物がもつ(かつ尾索動物はもたない)特徴を共有し、さらにいくと、すべての哺乳類がもつ(かつ鳥類や魚類などはもたない) ではここで、哺乳類を系統樹上の他の枝(系統)から区別する相同的形質について考えてみる
約2億3000万年前(中生代三畳紀の中紀)に進化の舞台に登場した哺乳類は、進化によるいくつかのイノベーションによって他の生物群とは区分される
被毛があるおかげで体温が上昇し、それにより活動レベルも上昇した
これにより、子を育てるうえでの母親側の投資が増大することになり、その結果、子の数は減少した 母親側の投資増大の一つの面として、哺乳類の母親は爬虫類の母親に比べてかなり長期間、子をケアすることになった
それにより、行動(特に学習行動)を社会的に伝達するという前例のない機会がもたらされることになった
哺乳類はすべて共通のホルモンを分泌するだけではなく、内分泌系全体が哺乳類の共有形質である
細胞のタイプから受容体やフィードバックの関係まで、すべてが共通している
哺乳類には脳の構造にも重要な相同性が見られる
たとえば、わたしたちの情動の基盤となる辺縁系(大脳皮質の一部とその下部にある複数の神経核)という部分は他の哺乳類にもある 家畜化では、恐怖と攻撃性という2つの情動が重要な要素である
これらの情動を鈍らせることが、いわゆる「従順性」に根本的に関わっている